NoMapsがお送りするウェビナ―シリーズ「Deep Dialog」。私たちを取り巻く環境が大きく変化する中、これからの未来を切り開く方々をゲストに招き、今後の行動のきっかけとなる創造的なコミュニケーションの場を目指しています。
「温暖化したおかげで北海道のコメは美味くなった」
2021年10月25日、北海道で政治家が発言した内容が波紋を呼びました。
先日のDeep Dialogでは「北海道のお米が美味しくなった本当の理由」と題し、発言に抗議の談話を発表した北海道農民連盟から中原浩一書記長、そしてコメの収穫後技術がご専門の北海道大学農学研究院の川村周三研究員・元教授を招きお話をうかがいました。
▽ダイジェストムービー
まずは川村さんに北海道のお米が辿ってきた歴史についてのお話からスタート。元々北海道米はイネの花が咲いてから登熟期間が短く、登熟期の気温も低いことから一般的に「美味しくない」とされ、売れないお米「やっかいどう米」とまで呼ばれるほどでした。
この課題に対して米の生産に携わる方々が連携し、北海道米の食味向上の努力を重ね、1980年にお米を美味しくするプロジェクトを官として北海道立農業試験場がスタート。その結果として1989年に「きらら397」が発売されます。
当時川村さんは食品加工工学研究室で米の食味試験を実施していました。1991年産米の食味試験の総合評価で「きらら397」が上位から中位に入り、ようやく全国の米の平均くらいに北海道米が入るようになりました。その後、2004年産米以降の食味試験の総合評価は「ほしのゆめ」や「ななつぼし」、「ふっくりんこ」や「きらら397」など、北海道米が上位を独占するようになりました。そして新品種「ゆめぴりか」が全国トップのブランド米となりました。
さて、いったいなぜここまで北海道米が美味しくなったのでしょうか。
お米が美味しくなる為には、お米の美味しさを決める成分のタンパク質、そして糖質つまり澱粉(でんぷん)の中のアミロースが適度に低いと良いということが分かっています。北海道米が美味しくなった理由は大きく3つあると川村さんは語ります。
1つは品種改良。「きらら397」が1989年にデビューし、その後に「ほしのゆめ」「ななつぼし」「ふっくりんこ」「おぼろづき」、そして2009年に「ゆめぴりか」と続々品種改良された北海道米が発売されました。特に「おぼろづき」や「ゆめぴりか」は元々アミロースが遺伝的に低い「低アミロース系統品種」として、美味しいお米実現の為に計画的につくられたものでした。
2つ目の理由は栽培技術です。1990年代に農業試験場で開発された技術として、窒素肥料を少なくしてお米を育て、タンパク含有量を抑えることで、適度に柔らかくて粘りのある美味しいお米がつくれるようになりました。しかし肥料を抑えると収穫量も減ってしまい、農家の方々が困ることになります。北海道は農家の方々の努力で、収穫量が減らないギリギリのところまで窒素肥料を抑え、美味しいお米づくりに励んできました。
最後の理由は収穫後技術。美味しいお米を選り分ける最先端技術が、1996年から10年ほどで開発し普及されました。また、共同乾燥調製貯蔵施設(カントリーエレベーター)で冬の自然の冷たい空気を利用することで、お米を氷点下で貯蔵する「超低温貯蔵」が出来るようになり、品質劣化しない貯蔵方法が実現。貯蔵後も新米と同様な美味しさを保てるようになったといいます。
ここまでの川村さんからのお話を受け、中原さんからは、栽培技術について苦労してきた現場の農家の方々の歴史についてお話いただきました。
北海道は早くから籾を種まきしなければならず、3月の下旬から雪かきをしてビニールハウスを建てなければならないなど、北国ならではの苦労があったとのことです。土を温めて環境を整え、籾まき後も発芽を早める技術に取り組み、田植えも機械を導入。肥料は少ない方が美味しいお米ができる一方、たくさんお米を取らなければいけないというバランスの中、農家の方々が試行錯誤を繰り返し、肥料を減らしながら食味のいいお米をつくってきたという苦労が語られました。
また「温暖化したおかげで北海道のコメは美味くなった」という政治家の発言があった際は、発言の中では農家さんや農協の話にも触れられており、「コメが美味しくなったのは農家や農協の努力ではない」という旨で語られていたことに、農家さんをはじめとした関係者のみなさんが怒っていたとのこと。品種改良で米を交配し優良品種として選ばれて世にでるまで8年から10年ほどかかり、農家さんはその間に種をもらって試験栽培をし、さらにどの地域に合うかということを調べながら努力をして品種を育ててきたという、美味しいお米に至るまでの経緯についてもお話いただきました。
北海道のお米が今のように美味しくなった背景は、北海道の官民学が一体となり、たゆまぬ努力を積み重ねてきた結果であるということを改めて知る機会となりました。